「絵本の読み聞かせ」でクラスの雰囲気が変わった

2013年9月18日

特別支援学校で行なわれた「絵本の読み聞かせ」による、「心の力」のつけかたとは?
ある特別支援学校の取り組みについてレポートをご紹介します。

特別支援学校では、卒業後の就労や社会生活に直結する内容が求められる。ただ、そうした「社会生活のノウハウ」以前に、私が生徒に示したかったものがある。それは、「絵本の読み聞かせ」であった。

「ぐりとぐら」「からすのぱんやさん」「おおきなかぶ」「しょうぼうじどうしゃ じぷた」など、幼児向けの絵本を、その日の授業に入る前に読み聞かせると、意外にも生徒は目を輝かせて聴き入ってくれる。目の前にいるのは、確かに高校生達なのであるが、彼らにとって絵本の世界は、どの本も初めて触れる世界であり、心の柔らかい部分にすっと染みこむ栄養剤のようなものだと感じた。

幼児期に絵本に出会うことのなかった子どもにとって、その出会いは多少遅くてもあったほうがよい。絵本の世界で繰り広げられる「やさしさ」「希望」「連帯感」「勇気」などが、彼らの力になってくれることを望んだ。社会生活のノウハウを学習する傍らで、一学期に一つのペースで国語の教材としての物語を読解し、感受性や想像力、そして自尊感情といった「心の力」をつけてもらいたいと感じた。

「てぶくろをかいに」の授業

ワークシートを用意し、丁寧に読み始めたのが新美南吉の「てぶくろをかいに」である。
「人間」を恐ろしいと思い山から下りられずにいた母狐は、子狐を一人で町へやるが、子狐に対し「人間」は、あくまでも優しく、大きな心で包み込む。母狐は子狐の言葉を聞き「本当に人間はいいものかしら」とつぶやく。
この物語を読んだときの生徒達の反応は、初めて読む「性善説」的な世界に心を打たれた様子だった。読み終えて「言葉も出ない」というのが当初の反応だった。ただ、「広汎性発達障害」を持つFだけは、納得がいかない様子だった。「愛」や「信頼」や「思いやり」はFの世界観の中には存在してはならないはずのものだった。だから「てぶくろをかいに」の作品世界は居心地が悪くてしかたがなかったようだった。

親子が心を通わせたり、母狐が子狐を心配したりする姿は、家庭での養育期間が短かった生徒達には、切ない気持ちになるものだったようだ。そのことで寂しい気持ちになるのなら残酷なことをしてしまったなと思った。ただ、美しい雪の世界で体を温め合う親子狐の姿は、彼らにとって心地よい一幅の絵であったようだ。何度も何度もページをめくり戻して、親子の挿絵に見入る生徒達の目の輝きを見ていると、むしろ、大切なものを見せることが出来たのかもしれないとも感じた。

「ごんぎつね」の授業

小学校高学年の定番の教材である「ごんぎつね」も、新美南吉の優れた作品であるが、生徒達に「読んだことのある人」と質問すると、一人もいなかった。
普通校に在籍していた生徒も、この作品に出会う機会はなかったようだ。普通校の子ども達が国語の授業を受けている間、別の教室で別メニューの授業を受けていたのかもしれないが、この作品も、彼らにとって必ずよいものをもたらすと信じて、三学期の教材とした。

孤独でいたずら好きのごんは、まいにちまいにち人のいやがることばかり、くりかえす。・・この最初のくだりで、もうすでに、生徒の食いつきは、普通校の子ども達を越えているのではないかと感じた。なにしろ「さびしさをかかえ」「人の気を引くには悪いことをして騒ぎを起こすより他に手だてがなく」自傷やいじめや犯罪めいたことまで、実際に体験した生徒も含まれている。人の気を引くための自傷や、多傷や、窃盗や、器物破損や、発作のふり(擬似発作とよばれる)パニックのまねなど、私たちが本校で毎日のように目にし、ひとくくりに(注目行動)と呼んでいるものは、おおよそすべて、根っこの所に「孤独感からくるさみしさ」がある。

だから、彼らは最初のページを開いたときから繰り広げられる孤独な「ごんぎつね」のいたずらに、大いに心をおどらせ、共感したのである。さらに、ごんのいたずらが原因で、ひょうじゅうの母が最後のうなぎを食べられずに死に、ひょうじゅうが母を亡くして天涯孤独の身となったとき、生徒はごんとともに強烈なシンパシィを覚えたのだった。ひょうじゅうに初めて自分の存在をわかってもらい、「おまえだったのか」と呼び掛けられて死んだとき、生徒は、胸の中に広がる「説明のつかない」温かみを、どう表現して良いのか困惑したような表情を見せた。感想を聞いても言葉を選び続けて何も言えないか、「なんかこう、来るな」と言った荒い表現でしか表せない感動を、しかし確実にその目が伝えてくれていた。

この「ごんぎつね」を読み終える頃には、一年近くが経ち、春が近づいていた。授業が成立しないほど互いに不適応を示していた彼らの人間関係は、いつのまにか、数々のトラブルを越えて、穏やかなものへ近づいていた。互いの存在を認めるとまでは行かなくても「互いが同じ教室の中にいることを我慢できる」という関係に変化した。彼らの変化に、「物語の世界から与えられた温かいもの」が幾分なりとも影響していると私は感じた。

「人の心を信じること」「命ある者同士の魂の触れ合い」など、彼らの人生の中で、誰からも示されなかった(かもしれない)概念が、物語の世界を通して彼らの心に染みこんでいく。染みこんでいく音が聞こえると言ったら大げさだろうが、教室の中、たった7人と私が対峙し、暖房機のモーター音だけが響く静けさの中で、彼らは静かに静かに考え、受け止めてくれていた。

「よだかのほし」の授業

2年目の夏休みを控えたころ「よだかの星」を読むことにした。
金環日食や流星群が、七夕の話題と共に毎日のように語られ、「星々」がブームとなりつつある夏だった。また、「いじめ」のニュースが連日報道されていた7月でもあった。ワークシートで「胸をしめつけられたところ」をあげさせると、一人一人が個性的な感想を述べる。その多様性が実に面白く感じられ「これが個性というものだな」と感じ入った。

そこで、生徒への還元と、廊下への掲示を兼ねて、「よだかの星新聞」を発行することにした。
例えば、Gが書いた「神様、命をありがとう」という文章は、死んでいくよだかのほほえみや、誠実な姿に感銘を受けたGがじぶんなりに出した答えであり、Gが察したよだかの本心であった。

心をしめつけられたのは、自分の命が力尽きるまで、空を飛んでいたところです。よだかが自分を責めて自殺を考えていたところです。そして「笑っておりました」は、たぶん僕が思うには、神様に「命をありがとうございました」と言ったと思う。みんなにバカにされても、よだかは何も言い返さなかったところです。(G)

「悪口はいやだ」という強い嫌悪感をしめしたのはDである。日頃おとなしい彼女が発したこの強い気持ちは、自分が受けたいじめを想起し、怒りと共に記した言葉であった。彼女のこの怒りに、この後他の生徒が共鳴し、その後の授業で「いじめ」について語り合うことになる。

心をしめつけられたのは、鳥たちがよだかに聞こえるように悪口を言うところです。自分だったらすごくいやになると思います。こそこそ悪口を言ったりしていたら「ああそうなんだ。やっぱり私はみんなからきらわれているんだ」ってそう思うと思います。弱い人も強い人もみんな同じだって思います。(D)

広汎性発達障害のFにとって、「人の気持ちを想像する」ことは不可能に近い作業であるため、よだかの立場になって、その心を察することは、やはりなかった。Fは「むねがしめつけられる」こと自体がなく、よだかの弱さを指摘する文章を書いた。

よだかは男のくせに飛んだり、強くなったりする努力もできない。自分から見れば「男のつらよごし」で、恥さらしだと思う。男として恥ずかしいやつ。人に頼ってばかりで全然実力も見せないで死んでしまった。自業自得だと自分は思います。よだかは情けない。(F)

「かなしみ」や「せつなさ」をFと共有することは、やはり無理なのかと、諦めきれないような残念さを覚えた。しかし、そのF独特の感性を、「面白い」と笑いながら受け入れるGの笑顔に、私ははっとさせられた。
この教室だからこそ、答えはひとつでなくてもよいのだ。特別支援学校は公平や公正以上に「個性」を尊重しあうことができる場所、主人公のよだかをこき下ろすFの文章を「こんな風に考える人がいるとは・・・」と半分驚きながら、受け入れるGの笑顔が、他の生徒にも影響し、私自身も「そうだね、Fは独特のセンスを持っているよね。読む人によってこんなに受け止め方がちがうって、面白いよね。」とコメントすることができた。「ちがいがあっても、良いんだ」「私も、他の人と違っていても許されるんだ」ふと教室の中に、そんな、ほっとしたような空気が流れ始めたのは、こうしてFの個性をみんなで許した頃である。

Cは、過年度生である、両親と死別したため、児童養護施設から、中学、全寮制の高校へと進んだが、人間関係への不適応から過食症になり、不登校となり、高校を中退した。保護者を持たないCは、「宿舎のある」施設でなければ生きていけないため、児童相談所から学園に措置されたという。そんなCにとってこれまでの10数年間は「選択の自由」を与えられたことがなかった人生である。

私がひどいと感じたのは、勝手に名前を変えられたところです。もし、それが人間で、私と誰かで、その誰かに「名前をかえろ」と言われたら、すごくいやだから・・それも名前は自分で決めたわけでもないのに・(C)

食べるもの、着るもの、住むところ、ルームメイト、環境の全てを、周りの大人達に決定され、それをおとなしく受け取って生きてきた。そうすることでしか生きる術はなかった。けれど、今回の「他人に名前を変えられて」の文章を記すことで「本当はいやだった。人に強制されたくなかった」という心の叫びが伝わってくる。
このことについてみんなで話す中で「最近自分達がよくあだなをつけて楽しんでいるHさん」のことについて考えることになった。「Hさんはいやがっている」「呼んでる俺らは楽しいよ」「でもHさんはこんな気持ちかもしれないね」そんなやりとりを交わした。その後、Hへのあだ名が呼ばれることは、いつのまにかなくなった。

彼らの感想を大きな壁新聞として、「よだかの星新聞」が完成した。廊下に掲示して、友人や先生方に読んでもらい、「良いことを書いてあったね」と褒めてもらうことで、かれらの中の自尊感情がしだいに育っていった。その人の感性や、考え方の部分を褒められたり、共感を得ることは、能力や、強さを褒められるのとはまた違った効果を発揮する。自分の書いた「じぶんのこころ」を理解、共感してもらえたという手応えを感じたことからか、彼らは目に見えて自信をたたえた表情になり、互いに寛容になり、大人びた振る舞いをするようになってきた。同時に、彼ら同士の人間関係も良好になり、一つの教室で授業をするのがやりやすくなってきたという実感もまたあったのである。そこで、互いの感想に対する感想を書かせ、再び「よだかの星新聞II」として発行した。
一番多くの人の共感を集めたのは、Dの「悪口はいやだ」だった。3人の生徒が彼女の文章で「いじめ」を想起し、自分の体験に重ねて共感の声を寄せた。

Dさんの文章はいじめの苦しみを教えてくれるように感じました。悪口がいじめにつながる危険もあります。今はいじめ問題が増えて、ひきこもりや自殺をしている人が沢山います。だから世界中で苦しんでいる人を助けてあげたいです。そしてこのDさんの「悪口はいやだ」という文章を読み聞かせてあげたいです。(G)

GにとってもDの文章が救いになったと解釈できる。いやがらせに苦しんできたと、いまも苦しんでいると、一目でわかるG、くずれそうな自尊心を、Dの叫びが代弁してくれ、救われた。こころが通じ合って、互いに響き合って、言葉が人の心を救うことを実感するからこそ、「苦しむ人に読み聞かせてあげて、救いたい」という発言につながったのではないだろうか。

死んでいくよだかは本当に情けない。男なら真っ先に勝負にいどめ!です。ぼくはよだかに「死ぬくらいなら死ぬ気で勝負しろ!」と言いたいです。それなのによだかは弱気で、臆病者で、男の裏切り者だと思います。ぼくの考えは変わりません。ぼくはよだかを責めます。「よだかのアホタレ、よだかの卑怯者!」(F)

Fは、相変わらず人に依らず、自分の世界を繰り広げ、痛烈な批判の手をゆるめない。ただ、Fのこの発言が、みんなの気持ちを、最近社会でさわがしい「いじめと自殺」に眼を向けさせ、次の時間の「ほんねの座談会」へと導いたのは事実であった。

「神様命をありがとう」というG君の文章が心に残りました。その言葉を私のお父さんやお母さんも心の中で言っていると思うし、私も思うなと感心しました。私が生まれてよかったとみんなが思っているので、私もバカにされることがあっても、クヨクヨしたくないな、と思いました。(A)

自宅生で甘え傾向の強いAだが、その文章の中に、生きてきた短くも濃厚な子ども時代が見える気がする。Aは、口蓋裂と斜視を併せ持ち、容姿でからかわれることが多かったという。バカにされ、疎外される度に、「私は生まれてきて良かったの?」と自問し、ストレートに親にその疑問をぶつけるA、母親が、戸惑いながらも「Aが生まれて、ママは嬉しかったよ」と答える。Aはほっとし、「クヨクヨしないでがんばろう」と、思う。そんな繰り返しの中で大きくなってきた、Aの不安定ながらも明るい人柄が、いとおしく感じられた。

ほんねの座談会

いじめられた辛い過去をそれぞれの文章でつづってくれた生徒達の勇気が、私には嬉しかった。
「自分の心の一番深い部分を取り出して『本当の気持ち』を語り合うことは、とても難しいけど、でも心が解放されるんだよ、本当は、あなたたち同士が、そんな関係になってほしいな。」と彼らに語りかけた。長いこと孤独な人生を送ってきた者同士が、腹を割って語り合う場を作りたかった。机を丸く並べ替え、「ほんねの座談会」のひとときを持った。

Dが、「うちもいじめられたよ、臭いとか、学校くんなとか言われた」と言えば、「自殺するやついるけど、あれはバカだよ、自殺するくらいなら、俺なら戦う、俺ははっきり言って、いじめとは戦ってきたぞ」と相変わらず勇ましいF。Cが「でも、ここの学校って、いじめがないよね。びっくりした、こんなとこがあるのかって」と言えば、Dが「いや、あるよ、ここの学校にも。」するとCは「いや、ここのいじめは、”いじめのまね”あたしが言っているのは、本当に恐ろしい”本当のいじめ”だよ。」「本当のいじめって?」「だから、靴に画鋲入れたり、体操服切り刻んだり、殴ったり・・」「え〜Cそんなんされたん?」「されたし〜」
思いがけないことに、Aが、Fの弱い子に対する攻撃をたしなめ始めた。「あんなにひどく言っているのをIちゃんのお母さんが見たら悲しむと思うよ!!」指摘されたFとの間で口論になったが、強者に「NO」をつきつける強さを、Aが身につけたのだと思うと、驚きと同時に、言葉を分かち合うことの心強さを改めて感じた。
にこにこと友人の言葉を聞きながら、言葉数が少ないGが「勇気もらった。」とつぶやいた。

Gの言う勇気とは、Dの「悪口はいやだ」と言う叫びに、自分も仲間も共感し、辛い過去をあかし、互いに語り合うことによって、いじめに悩むのは自分だけではない、響き会う仲間が沢山いるという実感から湧いてくるエネルギーに他ならない。

支援学校に勤めるよろこび

数年前、普通科高校で勤めていた私が「支援学校」に転勤したいと思うようになったのは、自分があまりにも「障がい児」というものを知らなさすぎたからだった。教室で「ガイジ」と言う言葉を侮蔑的に発する生徒の声を聞くと、こころが沈み、その言葉を発した生徒に問いかけていた。けれど、そう言う私自身が「障がい児」をほとんど知らないで生活している。彼らは本当はどんな人で、どこにいるのか、何も知らない私が「障がい児」を語って良いのか?この落ち着かない気持ちが「いちど支援学校に勤めてみたい」という気持ちをふくらませることとなった。

けれど、赴任して驚いたのは、いわゆるこの「福祉」の世界が、桃源郷への暗いトンネルのように、「入り口が狭く、中の世界は広い」ことだった。ここに集う障がい児とその家族、そしてそれを支える関係者の数は多く、ネットワークはどこまでもつながり広がっていく。生まれ落ちて障がいを発見された子どもは、当初、親の戸惑いと、親の孤立を招き、その子のために結束する家族もあれば、逆に家族が崩壊する例もある。親から手放されて施設で育つ子もあれば、逆に親がその子を手放すことができずに、過保護になってしまう例もある。100人の障がい児には、100通りの家族の歴史がある。ただ、一様に言えることは、普通の子どもと違って、彼らが一度は必ず「特別視され、別室での指導を受ける」子ども時代を過ごしたということである。

「いじめや疎外を受けた」「みんなにかわいがられた」それぞれ本人の受け取り方は違っても、「普通のみんなとは違う特別扱い」を受けた孤独感を抱えて、この支援学校に入学し、当初は「またいじめられるのではないか」「しゃべったらバカにされるのではないか」と心の殻を閉ざし、しかし次第に、長い時間をかけて、「ほんとうの友だち」を得ていく。生まれて初めて、心を開き合える友だちを得る、その瞬間のうれしさに立ち会うことができる、それが支援学校に勤める素晴らしさだと思う。