コロナ禍というピンチを「学校改革」のチャンスに
岡島 もともと世界一多忙な日本の教職員が、コロナ禍でさらに疲弊する状況になっています。学校のあらゆる場所の消毒作業は新たな習慣になりました。給食も本来は当番制で子どもたちが配膳しますが、現在は担任が一人で行うようになったケースも多いです。
副島 病弱教育では、以前から感染管理が厳格でした。例えば、授業でトランプを使ったら、終了後1枚ずつ全部拭きます。でも、これは院内学級(病院内の学級)が少人数だからできるのであって40人の教室ではとても対応できない作業です。それでも、「子どもを守るためなら」と、教員は無理をしてしまいますよね。
岡島 そうなんです。そのうえ、コロナ禍で不登校や家庭環境が心配な子どもも増えています。文科省は学習内容を先送りしてもよいと言っていますが、現場では学力保障を強く求められ、短時間に詰め込まざるをえない。そのことにジレンマを感じての精神的負担も大きいようです。
副島 先日も特別支援学校を訪問したのですが、先生方がかなりしんどそうでした。まずは先生たちが「もうちょっと取り組んでみよう」と思えるように、少しでも力になりたいと思っています。
岡島 知らず知らずのうちにストレスをため込んで、気付いた時には精神的に病んでいるというケースが増えそうで心配です。職員室ではみんな忙しそうにしているので「ちょっといいですか?」と言いづらい状況ですね。
副島 そういう時は、しんどそうな人に、「ちょっと元気ないね」と声かけして、しんどさや辛さに気付いていると先に知らせることが重要です。表情や行動から読み取ったことを素直に言葉にすることは、すれ違う一瞬でもできます。
また、実は助けを求めるのにもパワーやスキルが必要なんです。「自分は役に立っていない」と感じて自己肯定感が低い時は、さらに傷つくことを恐れて、なかなか「助けて」と言えません。そういう人にはまず、「あなたは、あなたのままでいいんだよ」と伝えることが大事です。「あなたを認めているよ。でも、最近は調子が悪いんだね」と。人は分かってもらえたと感じてはじめて「辛い」と言えるものです。職場や社会にそんな雰囲気を作り出すためにも、一人ひとりが「あなたのことを大切に思っているよ」と周囲の人に伝え合うことです。
岡島 前向きな姿勢が重要な時でもあると思います。不自由な中でも、何かできることはないかなと意識しておく。「懸念があるのでやめておこう」ではなくて、「こんな風にすればできるんじゃないの」という志向でありたいですよね。
副島 そこですよね。普段、できないことがだんだんと増えていく病気の子どもを見ているので、常に今あるものをどう生かすかを考えます。
漫画「ワンピース」に兄を亡くして自暴自棄になった主人公に、仲間が「無くなったものばかり数えるな、お前は今、何を持っているんだ」と叱咤するシーンがあります。私たちも現状を受け入れ、元に戻すことばかりを考えるのではなく、これを機にこれからの教育や学校を創造的に変えていくことを一緒に考えたいですね。
今こそ過去に学び、学校文化の再興を
岡島 変革には時間とエネルギーが必要ですが、コロナ禍以前から気になっていたことがあります。職員室に行くと、みんなパソコンに向かって黙々と仕事をしていて同僚同士の会話がほとんどないのです。いかにも時間も心の余裕もないように見えます。
副島 私が教員になりたての頃は、よく放課後に職員室の後方に集まっていました。仕事をしていると「副島、ちょっとこっち来い!」と声がかかるのです。先輩たちが「俺も最初は……」と失敗談を話してくださって。そんな中で、教師文化、学校文化を学んでいました。
岡島 そうでしたね。昔の学校文化の中にはこれからのヒントになるものも多いと思います。私が現場にいた頃は、地域の子どもは地域全体で育てるという風潮でした。
専門的知識も経験もなかった私が、自閉症児の「てっちゃん」(5年生)を初めて受け持った時に、彼との関わり方を教えてくれたのは子どもたちでした。授業中、急に奇声を発しても驚いているのは私だけ。子どもたちは落ち着いて注意したり、なだめたりしている。幼い頃から一緒なので慣れたものです。「インクルーシブ」を掲げなくても、特別な配慮がなくても、自然と共に成長していました。
副島 岡島先生の姿勢の影響も大きいでしょうね。教員が「授業が進まなくて迷惑だな」と思っていると、子どもたちはそのイライラを見抜いてその子に対する態度に表わすようになります。教員の心の余裕の有無は子どもたちに影響しますから。
岡島 余裕といえば、昔の学級便りは、工夫が多様で教員やクラスの個性が表れていましたね。私は子どもたちの作文だけを載せたお便りを作っていました。必ずクラス全員載せると宣言していたので、ノートに誰の作文を何回載せたかを記録していましたね。苦手な子には、「昨日のあれを書いてみたら」なんてフォローして。自分の作文が載ったら嬉しいですし、保護者にも喜んでもらえます。自分で書くより労力はかかりますが、子どもたちの自己肯定感も高まるし、家庭とのコミュニケーションのきっかけにもなっていました。
副島 作ったら職員全員の机の上に置いて、同僚にも共有していました。それが「学校全体で子どもを見ている」という安心感にもつながっていたと思います。今は、学級便りを発行するにも何人もの決裁が必要でまるでスタンプラリー。「この文言はダメ」「これで、保護者は分かるの?」とチェックが入る。担任とそのクラスの保護者の関係だからこそ成立する表現や言葉があるのにその部分が削られたりする。だから、「もういいや」となってしまう先生方がいるんです。
岡島 心の余裕には、教員の裁量の問題も大きく影響しています。教職員が自由に裁量を発揮できる環境づくりも急務です。
教職員が「ワクワク」できる環境を
副島 逆説的ですが、一斉休校の期間は「子どもたちの学びを止めないように」と、先生方が自由に考えて、一人ひとりに学びを届けるさまざまな試みが実践できていたと思うんです。ただ、学校が再開されると、コロナ対応や不足した授業時数を確保することでいっぱいいっぱいになってしまったように思います。
岡島 そうですね。やるべき作業が増え過ぎると、子どもとのかかわりや授業準備の時間がどんどんなくなっていきます。その結果、子どもたちの実態から考えるのではなく、テーマや目標ありきで教育活動を考えざるをえなくなってしまいます。
副島 それでは先生方はワクワクできませんね。「明日こんなことを子どもたちとやってみよう」、「昨日はうまくいかなかったから、次はどうしたらいいだろう?」などとワクワク、ドキドキしながら考え、試行錯誤していく。それが教員の醍醐味でもあると思います。
岡島 今、何にでも「マニュアル」が求められるのは、「失敗したらどうしよう」という思いが先に立ってしまっているからかもしれません。
副島 学校に限らず社会全体に言えることだと思います。物事を進める時の動機づけが、ワクワクではなく、不安や批判をされないことになっている。それでは楽しくないですし、子どもたちにもそれが伝わってしまいますよね。教員自身が「自分で考えてこの活動に取り組んでいる」と思える環境ではじめて、個々の発想や創意工夫が発揮されます。まずは、職員室でお互いに「先生どうしたい?」「何やりたい?」といった肯定的な問いかけを日常的にしてみるといったことから、始めてみるのが良いかもしれませんね。
岡島 試してみてうまくいかなければ、フィードバックをして、またもう一度取り組んでみる。教員同士がお互いに助け合いながら、このサイクルを回していけたら変わってくるのかなと思います。
立場を超えたつながりで、みらいの教育をつくろう
副島 今は「あなたはどうしたい? 何をしてもらいたい?」と、前向きに助け合えるチームを意識的に作っていくことが、難局を乗り越え、学校や社会を変えていく鍵になると思います。悩みだけでなく嬉しいことも共有できる、そんな場と時間を先生方が持てるといいですね。
岡島 教職員共済は、教育に関わる多様な立場の方が集まっています。新入職員から管理職まで、そしてさまざまな職種の方がみんな組合員です。それぞれの視点、得意分野から教育を考え、子どもをサポートできる分、これからさらに強力なチームになるポテンシャルがあります。
副島 そうしたコミュニティーがあると心強いですね。私が院内学級ですごく大事にしているのは、「支えてくれる友達や先生がいるから一人じゃないんだ」ということを子どもたちの心の中にそっと置くことです。教職員も同じです。ひとりぼっちじゃないんだという実感を組織的につくりあげることができ、そして、大人が立場を超えて助け合う姿を子どもたちに見せることができたら、それが教育の本質だと思います。
岡島 教職員共済もそんなコミュニティーのひとつとして、仲間同士の支え合いによって生活上のリスクを少しでも減らすことをめざしています。保障という制度を上手に利用してご自身の、そして教職員仲間の安心を広げていただけることを願っています。
- この対談は、教職員共済だより177号に掲載された同対談を編集し、ロングバージョンとして公開しております。
- 対談はソーシャルディスタンスを保ち適切な換気のもと、マスクをして行っております。
副島 賢和(そえじま まさかず)
昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、昭和大学附属病院内学級担当。都内公立小学校教諭を務めた後、2014年から現職。
「赤鼻のセンセイ」としてドラマのモチーフになるなど、「ホスピタルクラウン」としても知られている。